少し間が空いてしまったがブログの7回目は、1月3日に「人生観について」というテーマでブログを記したがそのセットと言っても良い、「死生観」について私が考えることを記そうと思う。
私の父は一昨年6月に原発不明ガンで亡くなった。
享年78歳だった
9年前に肝細胞ガンで入院して肝臓を半分切除して一度はガン・サバイバーとしてテニスを再開できるほどまでになっていたが、その後別の原因とされる原発不明ガンになった。
父は肝臓がんの大手術の時には死を覚悟していたようで、手術がうまくいって退院してから終活を始めた。
年賀状じまいをし、会っておきたい人には車で積極的に会いに行っていたらしい。
父は生家の近くにある本家の墓には入ることを選ばず、自分で生前に墓を買い、永代供養の契約も済ませていた。
母もその墓に入ることになるのだろう。
お陰で父が亡くなってから我々遺族はあまり悩むこと無くお寺さんも決めることができたし、手続きもかなりスムーズに進めることができたと思う。
父は亡くなる瞬間まで一切泣き言は発しなかった。
覚悟ができている人間の強さか。
泣き言をいうのは恥ずかしいという強固なプライドなのか。
父がまだ比較的元気だった時に「死ぬのは怖くないのか?」と一度聞いてみたことがある。
すると「不安はあるが順番なのでしょうがない。そういうものだろう。」と話した。
決して強がっているようには見えず、死を受け入れているように感じた。
そういう父の姿を自宅で看取ることができたのは自分にとって非常に大きな経験となった。
お手本を見せてもらったように思う。
さあ、私はどうしよう。
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