こんにちは。
このブログも21回目。
今回は「なりたい自分」というテーマについて深く考察しようと思う。
人生の節目節目で、「なりたい自分」という問いが頭をよぎることは誰しもあることだろう。
こんなオジサンの私自身も例外ではない。
日々の生活の中で、ふとした瞬間に立ち止まり、自らが思い描く理想の姿と現状とのギャップに思いを馳せる時がある。
果たして今の私は「なりたい自分」というものになれているのか、そしてその理想に近づくためには何が必要であり、これからどう行動すべきか。
そんなことを考えてみた。
まず自分は現状「なりたい自分」になれているか?
率直に言って、現状の私は、完全に「なりたい自分」になれているとは言い難い。
もちろん、これまでの人生で多くのことを経験し、家族にも恵まれ、平穏な日々を送ることができていることには感謝している。
かつては「家族のため」「子供のため」の半生であったと振り返るが、それは後悔ではなく、むしろ満足感がある。家族を大切にし、子供が成人するまで育て上げたことは、まさに「自分がやりたかったこと」であった。
この点においては、一つの「なりたい自分」の姿を達成したと言えるのかもしれない。
しかし、その目標を達成した今、「これからどうしようか」というモヤモヤとした感情が渦巻いているのも事実である。
仕事は嫌いではないが、本当にやりたいことではないと感じる時がある。
これは多くの人が抱える感覚かもしれない。
安定を重視する「地の時代」の考え方に慣れ親しんできたため、変化を求める「風の時代」の生き方への全面的な移行には抵抗がある。
頭では理解できるが、すぐには動けない自分がいる。
これは逃げの姿勢と捉えられるかもしれないが、「チャンスが来れば逃さずに実行に移す」というスタンスで今は機を待つしかないと考えている。
一方で、新しいことへの挑戦や学びには前向きな側面もあり、自分なりに積極的に取り組んではいるつもりだ。
このブログを始めたのもその一つ。
文章を書いて細々ではあるが世に放つ。
こういった発信はこれまでやってこなかったので自分にとっては大きな挑戦であり、とても良い刺激になっている。
発信と言えば以前少しやっていて当時は魅力を見いだせなかったX(旧Twitter)を最近再開したのも自分の中で新たな物事への挑戦のウチの一つである。
今回は以前とは異なり、見ず知らずの人と繋がる感覚に心地よさを感じ、これまで知らなかった発見があった。
これは新しい自分を発見する一歩であったと言える。
また、不用品の処理に困って始めたメルカリだが人にモノを売るという行為は仕事として経験はあるが、個人の責任においてしたことは無かったのでとても良い経験になっている。
しばらく続けていると当然取引を通じて失敗してしまったこともあり、自身の確認不足を痛感しつつも、結果的に良い経験に転換できたことも大きな収穫であった。